プロフィール

夢の実現
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ブログ運営者のkeijiroです。

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略歴

大学卒業後、大手アパレルメーカーに就職し、営業マンとしての基礎を作る。
その後、2度の転職を経験。営業部門管理職時代は、後輩の育成の難しさを経験するも、常に誠実に対処する行動が、本人の価値が上げる要素になることを発見。

趣味

学生時代の部活動は、高校野球、競技スキー。現在は、月一ゴルフとスポーツ観戦。その他ウクレレ演奏

目的

営業の魅力を伝えるために、ブログを始めてみました。営業マンは人と関わることが多く、自分自身を磨きながら、相手の話を上手に聞ける余裕ができた頃には、大きなチャンスが待っています。すべての人にそのチャンスは存在します。少しづつ夢を膨らませながら、営業マンの階段を登っていきましょう。

時間がたてば仕事には慣れますが、上の地位に行くには、幅広くしっかりした考えで取り組んでいく必要があります。会社から指示された仕事だけをこなしていては、いつまで経っても、自分が持っている能力を最大限に引き出すことができません。

自分の考えで仕事にチャレンジし、失敗や成功を繰り返しながら、一つづつ自信をつけたものだけが、夢を追い続けていけます。

営業職は成績がはっきり数字で評価されるため、厳しい職種だと思われています。ところが、比較的個人主義が通る職種なので、自分のペースでスケジュールや時間割を組めるので、1日自由に仕事ができる気楽な職種とも言えます。

経験の中で気づいた事を、少しずつ投稿していこうと思っています。参考になる記事を読んで、次のステップ、次のステップと飛躍していってください。役立つことがあれば、ぜひご連絡を頂けるとうれしいです。


営業の中でもルートセールス中心で実績を積んできました。最初に勤めたアパレル企業は上場企業でしたが、当時は日本中の会社が売上至上主義で、今では考えられないくらい大半の会社が、ブラック企業でした。

朝の早くから夜遅くまで、よく仕事をしたものです。家族を持っている先輩達も家庭生活は無いに等しいそんな時代です。まさしく企業戦士と言ったところです。

高度成長期が陰りが見え始めた時期でしたが、それでも物価に比べ、給料はまだまだよかった時代です。例にもれず、私も売上に関しては、先輩からひどく叱責されていました。今のように親切に教えを乞える時代ではないので、見よう見まねで先輩の動きに合わせて営業活動をしていたように思います。

何とか予算数字もこなせるようになった頃、新会社設立のため、大阪勤務から東京勤務の転勤になりました。勤務地は千駄ヶ谷で、行き帰りは山手線の原宿駅を利用していました。

当時はデザイナーズブランド全盛で、帰り道にコムサデモードの会社の前を通ると、夜10時を過ぎていたにもかかわらず、毎日のように男女関係なく多くの社員が、露天の駐車場で入荷商品を仕分けをし、出荷作業をしていたのが印象的でした。

東京にいた頃の営業活動は、新規開拓がメインの営業活動で、なかなか成果の見えない厳しい日々を送っていました。毎月10日程度、飛行機や新幹線に乗っての出張があり、この時期には相当数の書籍を読んだり、また、たまにセミナーに参加したりもしました。

この時期に得た経験は大きく、初めて会った人にも、勇気をもって会話が出来るスキルが身につき、後々営業活動の大きな自信になっています。

ようやく採算ペースに乗り、気持ちの余裕もできた頃に、他社からの誘いで、新たに立ち上げるアパレル会社に協力してほしいとの相談を受けました。

両親の年齢や将来面倒を見ることを考え、関西の会社に転職しました。3年間の予定で採算を出す約束でしたが、会社の経営方針が変わり、残念ながら1年で退社することになりました。

その後も心配してくれる人から声をかけて頂きましたが、自分の気持ちに迷いがあり、なかなか決断できませんでした。もう一度自分を見直すために、1人で、約1ヶ月半海外へ旅行に行きました。

帰国後は、就職活動をしながら、独立できる方法を模索していました。事業を立ち上げる厳しさは、それまで2度経験していますので、資金調達と素晴らしいアイデアを出すことができなければ、そんなに簡単ではないことはよく分かっていました。

時間が経過する中、やむおえずアルバイトとして中小企業の食品メーカーで働きました。朝の店頭販売と昼からの配達がメインの仕事でした。

アルバイト先から、営業部を立ち上げるので営業を担当してほしいとの依頼を受け、迷いはありましたが、結局この会社に就職することになりました。最初の2年は何となく営業活動をして給料をもらっていました。

その後営業方針が変わり、現状の給料の半分は固定給で、営業利益を上げたパーセンテージを歩合として固定給に上乗せする形になりました。

担当する顧客も基本給に合わせる形で営業マンに割り当てられました。最初の2年間は、以前の給料に到達できず、随分悩んだものです。

3年目にはようやく以前の給料に到達し、4年目からは急激に数字も伸び、その後も年収で800万円以上は安定して持って帰れるようになりました。

管理職になってからは、多くの営業マンを指導してきました。目先の数字も大切なので、小手先で営業活動をしてしまうと、どうしても誠実さがなくなります。結局信頼がなくなって、ダメになる営業マンを数多くみてきました。

私が感じたこと、考え方、ノウハウなど、これまでの経験を活かし、いち早く優秀な営業マンになるためのヒントを数多く伝えていきたいと思っています。

★ 自己発見の旅(self-discovery)*ヨーロッパ旅行記* *アメリカ旅行記*

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